一定期間更新がないため広告を表示しています

にほんブログ村 フランス語外国語ブログ
cetegory : - - --
2016年12月27日(火)  by スポンサードリンク [ Edit ]
教室のHPを移行してから、そちらに統合しようと色々いじりまして、
やっと日記もリニューアルいたしました。

今後は下記アドレスに更新して参ります。

www.ec0r.com/diurnalem/






にほんブログ村 フランス語外国語ブログ
2013年01月27日(日) 22:04 by まり [ Edit ]
BONNE ANNEE みなさまのご健康と幸福を願って。


あけましておめでとうございます。

このブログ、年末年始には滅法弱く、昨年もぬるぬると終わり、新年の挨拶よりも新成人の「あざ〜す」のほうが交わされる日に、こっそり更新(すみません...)。

しかし2013年はこれまで通りだと思うなよ!

と、負け犬の遠吠え的にいきっているのはなぜかと言えば、土曜日のアトリエで現在形と単純未来形のニュアンスの違いをやっている時に、今年実現したいことの例として、

「今年はブログを2日に1回更新する」

という例文をうっかり作ってしまったからだった。うっかりにしては、「毎日」としない所が、すでに心の弱さが浮き彫りになっているような気もするけれど、リアリストなんじゃいとねじ伏せる。あと、兼業主婦なんじゃい。

もう半ばやけくそ気味にこの例文を使って、現在形と単純未来形のニュアンスの違いを説明すると、

現在形
Cette année, je rédige mon blog tous les deux jours.
(今年、自分のブログを2日毎に執筆します。)

未来形
Cette année, je rédigerai mon blog tous les deux jours.
(今年、自分のブログを2日毎に執筆するかもしれないな〜。)

語法によって、これくらい実現に向けた気合いの差があります。
なので、目標とか、叶えたいことは、なるべく現在形で表明するがよろしい。カミュもこう言っている:

Supprimer l'espérance, c'est ramener la pensée au corps.
( 希望を消去すること、つまり思考を身体に落とすことだ。)


この殺伐とした世の中に希望を持つな、ということではない。

「現実」は、すべて己が作り出している、とあちこちで読んだ。
昔、大失恋した時に、自分が望まない現実と自分の中の望みの折り合いがつかず、どうしていいか途方に暮れたことがあった。こんな現実、わたしは作ってない!と暴れた。

それから何年かかけて冷静になってみてひとつ気づいた。希望が叶わない時というのは、大体望み方が間違っている。

つまり、「Aでありますように」「Aになりたいです」というのは、自分がAではない と宣言しているようなものなのだ。だから、その方法で熱烈に望めば望むほど、「Aであるよう望んでいる自分」しか現実に現れてこない。

カミュが言うように、希望を持っているうちはそれは実現できない。希望として自分の頭の上あたりにフワフワと「〜ならいいのにな〜」と漠然と漂わせているうちは、本気でそれを実現しようとは思っていない。ほんっとーうに実現する必要があれば、そのたゆとうておるものを自分の身体の中に引きずり込み、あれやこれやと動き出すのだ。

それでも、まだ実現していないことを、実現したこととして思考を処理するのはなかなか難しい。
いくら「Aになれます(もっと言えば、「わたしはAです」)」と自分に言い聞かせようとしても、長年の思考の癖で「いや、まだなってないじゃん」
と、つっこみを入れる自分がいるわけです。そこをどうだます(?)か。

この世ではあらゆる人があらゆる思考を放っているわけで、その思考のマトリックスの様相で、自分の「現実」もどんどん動いていく。だから「ドラマチックな展開」なんかもあったりする。「Bさんと付き合いたい」なんぞのお願いは、自分の想いのみで実現するわけではないので (Bさんにも選ぶ権利がある)、実現プロセスはややこしくなるのだろう。けれど、自分ひとりの思考をコントロールすることである程度実現可能なものに関してはもう、現在形、というか過去形で表明していく。

納得しない思考の「つっこみ停止」をさせるには動くのが一番、てなわけで、こうして新年にフランス語についてなんだかなんなんだかよくわからないブログを書いている。おお、期せずして入れ子式展開になった。

長年、積み重ねの力というものを実感してみたいなぁと思いながら、だいたい途中で放棄というか放念していたので、今年はなんとなく粘り強くやってみようかという気にもなっています。古い諺も言っているので:
思想の種を撒きなさい、行動という実を収穫できるから。
行動の種を撒きなさい、習慣という実を収穫できるから。
習慣の種を撒きなさい、人格という実を収穫できるから。
人格の種を撒きなさい、運命という実を収穫できるから。*

*ちなみに、「行動の種を〜」以下はダライ・ラマの名言とされているらしい。また、これの変形バージョンが、日本では大変有名な「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから・・・」で、なぜか日本ではマザー・テレサの言葉になっている(本当のところ、誰の言葉かは不明)。


フラ語部復活↓(フラ語部とはなんぞやという方はこちら

La fin d'année 2012 comme d'hab : pas de bonjour ni de merci pour les lecteurs, et me voici au premier article de la nouvelle année, deux semaines après du premier jour de l'an...malgré moi.

Toutefois, Mari de 2013 n'est plus comme celle des années passées, na !

Au premier cours de l'atelier Samedi (la semaine dernière), on a parlé de la différence d'expression au présent et au futur simple. Et j'ai donné un exemple qui déterminait mon destin :

(Présent) Cette année, je rédige mon blog tous les deux jours.
(Futur) Cette année, je rédigerai mon blog tous les deux jours.

La nuance des deux phrases est claire. Au futur, on ne sait pas si je rédige vraiment mon blog, alors qu'au présent, il y aurait déjà une légère nuance d'accomplissement. Et c'est là, la clé de réalisation d'un voeu ;

En général, quand on parle d'un voeu, on n'utilise pas directement un verbe au présent indicatif, mais on met plutôt le verbe « vouloir » (et souvent au conditionnel).

Or, j'ai souvent rencontré la phrase : notre vie réelle consiste en tous nos pensées. Cette idée m'avait beaucoup attirée jusqu'à ce que j'aie eu une grande déception amoureuse... Alors, je me suis perdue entre mon espérance et la réalité qui ne reflétait pas mes pensées. J'ai dit : « Ma vie réelle a trahi mes pensées ! »

Je comprends maintenant mieux : n'empêche, notre vie consiste en tous nos pensées (ou en partie). Mais quand on n'arrive pas à réaliser ce qu'on pense, c'est que, l'on le déclare pas de bonne façon.

Albert Camus dit :
Supprimer l'espérance, c'est ramener la pensée au corps.

C'est-à-dire, on ne peut pas réaliser ce qu'on pense tant qu'on le « souhaite". Quand on souhaite une chose, la vie continue à réaliser sincèrement ce qu'on souhaite. Le résultat : on continue à souhaiter (puisque notre vie reflète nos pensées !)... Quel horreur !!

Il faudrait donc parler au présent indicatif quand vous parlez de ce que vous voulez réaliser. Comme ça, vous pouvez peut-être tromper vos pensées très « réalistes » qui ne vous croient pas facilement en grognant : " Mais non, ce n'est pas encore réalisé, pourquoi tu parles comme si tu avais déjà accompli ?"

Enfin, comme j'ai déclaré, j'écris ici pour réaliser ce que j'ai dit : rédaction de mon blog tous les deux jours. Continuer quelque chose pendant certaine période, cela donnera quand même quelque résultat comme dit un vieux proverbe :
Sème un acte, tu récolteras une habitude ; sème une habitude, tu récolteras un caractère ; sème un caractère, tu récolteras une destinée.

Alors, on verra.

にほんブログ村 フランス語外国語ブログ
2013年01月14日(月) 13:36 by まり [ Edit ]
2007年、フランスから帰ってきて、12/1(土)にフランス語教室を始めた。

あれから5年。

細々と続けて、でも続けられている。
様々な人に支えられながら。

この年月は、「5年も」とも言えるし、「5年しか」とも言える。
その間に試行錯誤して、自分なりのスタイルができたかというと、ぜんぜんそんなことはなくて、まだまだ細胞分裂を繰り返している。どうしたら、もっとわくわくする90分になるか、どうしたら一つ一つの知識を実生活に活かせるか(日本での日常生活に、教室で学んだことを応用できるような授業というのが、はじめた時からの命題なのです。かなりいきっている)。

けれど、少しわかったこともある。私は教えているんじゃなくって、いつでも生徒さんに教わっているということ。

うちの教室の生徒さんたちは、上は70歳近く、下は20歳過ぎ(現役学生たちを含めれば、もっと年齢層は下がる)と様々な年齢だけれど、ほとんどの方が私より年上で、たくさんの人生経験がある。そういう人たちに「先生」と呼んでもらうだけでもどえらいことで、いつもどこかで「こんな若造が、偉そうにしてすんません」と手を合わせている。

確かに、わたしは、生徒さんたちが知らなかったり、そこまでマニアックに追求するほど熱意の湧かないような事柄に少し多めに首を突っ込んでいる。でも、それだけ。多少冒険しているだけ。

でも、それがわたしにできることなのだとしたら、その冒険を地味に続けていこうと思います。


この間、通訳プラス翻訳の二乗で目が回っていたとき、夫君のおかあさんがこういった。

「まりさん、何事も種まきよ、種まき。今やっと芽が出てきたんだから、がんばりなさい。」

相変わらず、おかあさんの一言にははっとさせられる。
ところで、昨日テレビを見ていたら、どじょうさんがこう言っていた。

「私たちは、ばらまきではなく、たねまきをして行きます。」

言葉は、その発信元によってこんなにもその内容(シニフィエ)の価値が変形するのねぇと感心した。もはや誰も、これを聞いて「なかなかうまいこと言うね」と膝をたたいたりしない。

言う人が言えば、ただの下ネタにもなるよな、これ。


そういうわけで(ザ・日本語的まとめ)

みなさま、ありがとうございます。

追記:毎回読んで下さっている方々も、ありがとうございます。
にほんブログ村 フランス語外国語ブログ
2012年12月02日(日) 00:18 by まり [ Edit ]
10/5 16:00過ぎより、ドメイン管理をしているサイトへのサーバー攻撃があったそうで、現在復旧作業をしているそうです。そのため、教室のHPへアクセスができなくなっております。

復旧まで最大48時間かかるとのことですが、正確な時間はわかっておりません。

生徒の皆様、また、e-corに検索で来られた方には大変ご迷惑をおかけいたしますが、今しばらく後辛抱頂きますようお願い申し上げます。


復旧しております。ご迷惑をおかけいたしました。

e-cor [エコール] フランス語コミュニケーション教室
代表 金子 麻里
にほんブログ村 フランス語外国語ブログ
2012年10月05日(金) 20:51 by まり [ Edit ]
またもや、思い出話になってしまうんですが・・・

2002年から2007年の間にフランスをふらふらしていた。

それまで、海外に出たのは、小さい時に親に連れられて1ヶ月パリに滞在したことがあるだけで、日本を出て本格的に、たったひとりで「暮らす」ということをしたことはなかった。

出国カウントダウンが始まると、毎日「鬼平犯科帳」を読み(いまでも愛読)、フランスで豆腐を手に入れるルートを探したりしていた。自分がこんなに日本文化を愛していたのか、と驚き、こんなんでフランスに行ってどうするんじゃ、と、完全にヴォワイヤージュ・ブルー(?)だった。

母国から切り離されている、という不安は、海外に住んでみたことがある人にしかわからない。

旅行であれば、とりあえず帰る日にちが決まっているのだから、「やっぱなんとなく落ち着かない」ぐらいの気持ちで済む。けれど、いつ帰るのか、というより、帰るのかどうかさえもわからない場合、慢性的な不安と孤独というのはどうしても存在の底に抱えなければならない。

言葉が通じない不安とか、家族と離れている不安とは違う。
物理的に、生まれ育った土地と切り離されている、という不安。

土地が繋がっているところから来た場合は、やや軽減されるかもしれない。でも、海を越えて来た人にとって、「地面が変わる」というのは、思った以上に大きくのしかかる。


見かけが違うということが、こんなにも人を不安にさせるのか、と初めてモンペリエの街に降り立った時に思い知った。

それまでの私は、人と同じ、というのがまるで自分の存在を丸ごとかき消されるような気がして恐ろしく、同年代の女の子たちが、同じような格好で同じような髪型で同じようなブランドのバッグを持ち同じような曲を聴き同じような雑誌を読んでいるのが理解できず、だからといって特別オリジナリティがあるわけでもないから、その狭間でもがもがともがいていた。

その自分が、同じような人がいないといって不安がっているのに、面食らってしまった。

留学生活での人間関係は本当に繊細だ。同国人がいれば、その人と。そうでなければ、見かけの似ているアジア人同士がなんとなくグループを作る(留学先の言葉の習得レベルが低ければ、その傾向は顕著になる)。一匹狼もいるけれど、完全に孤立を守り続けるなら、そのうち心身に故障を来す。
そうは言っても、せっかく遠くまで来ているというのに、見かけが変わり映えのない、たどたどしい会話のメンツに囲まれて、安心はするけれど「これでいいのか」という気にもなってくる。ネイティブと話したり、自国にいたら出会うことのない国の子たち(アジア人同士だって、本当はそうなんだけれど)と交流しないのは「逃げている」という気にもなる。同族嫌悪も出て来る。そういう中で、ひりひりしながら暮らす。それでも、彼ら、彼女らが褐色の目と黄色の肌を持っていることに、どれだけほっとしたことか。どれだけその存在に感謝したことか。

語学学校の最初の年、私は自分の習得レベルが低いのに、はったりが上手かったので、自分の本当のレベルよりも大分上のクラスに入れられてしまった。それで、仕様がないから、オプションで選択した演劇のクラスの子たちと仲良くなって、彼ら彼女らから吸収することにした(みんな本当にいい「先生」だった)。名前も覚え易かったのか、やたら顔が広くなった。でも、やっぱり怖いから、演劇で一緒だった韓国人、中国人の子と仲良くしていた。

ある日の授業で、歴史の話題になった時に、クラスでほとんど交流をしない韓国人の女の子(いつも一緒にいる子とは別の子)が、激した様子で私ともう一人の日本人にこう言った。

「私の祖母は、従軍慰安婦にされて日本人から酷い目にあった。だから、私は日本人を絶対に許さない。日本人なんかとは、絶対に仲良くしたくない。」

その時は、先生があわてて話題を変えてうやむやにしてしまったのだけれど、私は衝撃を受けた。テレビや教科書でしか出て来ない話題としか思っていなかった私たちを、彼女は明らかに「当事者」として捉え、露骨に憎しみをぶつけてきたのだから。

後で、友達の韓国人の子が、「あんな風に思っている子は稀だから、気にしないで。」と慰めに来たけれど、釈然としなかった。私は何もやっていないのに。言葉を交わす前から憎まれてしまう、日本人に生まれただけで、私という個人の存在を否定されてしまう、なんてことは、26年生きて来て一度もなかった。

いま、愛国教育を受けて洗脳されているとメディアは盛んに言うけれど、教育による刷り込みだけで、あそこまで憎しみを強くできるだろうか、と思う。まるで、生まれてからずっと磨いて来た鉛玉のように、彼女の憎しみは鈍く強く光っていた。あの問題が、全て本当だったかどうか私たちは真実を知らされていないし、女の子の銅像の前で金切り声をあげている人が、果たして本当に被害者かどうかもわからない。けれど、どのような経緯にせよ本当に酷い目にあった人はいて、その人が恨みや悲しみを込めて辛かった記憶を繰り返し繰り返し聞かせることで、あの彼女のように、憎しみを受け継ぐ人がいるのだ、ということを、私たちは受け止めなくちゃいけないと思う。


おせっかいで優しいフランス人や何かの縁で出会った色々な国の人たちが誘ってくれて、出不精のわたしも、数々のパーティーや、イベントや、お茶や、スポーツや、散歩や、飲み会に参加した。底抜けに楽しくて、バカバカしくて、気持ち良かった。

だけど、どんな時も、ふと、「ああ、この人たちは、本当にいい人たちだけれど、人種が違うんだな。」という現実を実感する瞬間があった。私は別段、国粋主義でもないし、一緒にいた人たちが差別的な言動をしたわけでもないのだけれど、ふいにどうしようもない郷愁にかられることがあった。

もちろん、差別的な発言をなんの躊躇もなくする人もたくさんいた。街を歩いていると、ガラの悪いちんぴらに「ニーハオ」と声をかけられたりする。自分の目を引っ張ってつり目にしたりする。そこまであからさまでないにしても、自分の言動が誰かを傷つけていると気づいていない人は多い。

ナント大学で勉強していた頃、生活費を稼ぐのにいくつかアルバイトをしていた。たまたま下宿先が18世紀に立てられた歴史的建造物のアパルトマンで、そこそこのお金持ちや弁護士の事務所が入っている建物だった。その一階に住む老夫婦の家の掃除に通っていた。

そこのおじいちゃんは、昔海軍にいた人で、背が高くかくしゃくとしていて、頭も良い人だった。色々な格言を教えて貰った。息子さんたちはよその県にいたので、私を半ば孫のようにかわいがってくれていた。

そんな人でさえも、わたしに「まりは色が白いね。中国人なんかとは違ってきれいだね。」と言ったりした。

「中国人なんか」という一言に傷ついた。褒めてくれるならその比較は要らないのに、と悲しくなった。言っている本人は、褒めているつもりだから差別発言だなんてこれっぽっちも思っていない。日本を直接差別してないのだから、別にいいだろうと思っていたりする。あれだけ知性のある人でさえも。

私が出会って来た中国人たち、韓国人たちの顔が浮かんで来る。鼻持ちならないことを言う人もたまにはいたけれど、みんな目的を達成しようと一生懸命生きていた。少なくとも「敵」ではなかったし、これからも「敵」になってはならない。

今日の朝日新聞で、村上春樹が領土問題に付いて寄稿している。その中で、領土を巡って熱狂するのは「安酒の酔いに似て」いて、そういう安酒をほいほい振る舞う論客に、私たちは注意しなければならない、と書いていた。はっとしたのは、領土を問題にしたプロパガンダはヒトラーのやり口である、という所だった。

国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑(にぎ)やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。(中略)
一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのように深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。

朝日新聞デジタル(2012/09/28):村上春樹さん寄稿 領土巡る熱狂「安酒の酔いに似てる」

(リンクは朝日新聞デジタルの会員登録で読めます。多くの人に読んで欲しい。無料会員だとアーカイブが読めなくなるので、図書館にでも紙面を見に行って下さい。)

今、自国を離れてどこかの国に暮らしている日本・中国・韓国人たちは、毎日本当に神経をすり減らしていると思う。自分たちには全く落ち度がないのに、一部の政治家たちの自己顕示のための煽動に、神経をすり減らさなければならないなんて、つらいだろう。

村上さんの言うように、「報復だけは絶対にしてはいけない」です。
にほんブログ村 フランス語外国語ブログ
2012年09月28日(金) 15:07 by まり [ Edit ]
貯金もでき、一応1年ちょっとフランス語を習いながらナント大学付属の語学学校への申し込みも済み、いよいよ大使館に長期滞在ビザの申請に行くことになった。10年前のことだ。「留学ガイド」によれば、このビザ申請が、留学希望者にとっての第1の関門になるらしい。南麻布にあるフランス大使館は、申請を午前11時までしか受け付けていない。戦いに備えて、当時仙川に住んでいた高校時代の友人のところに一泊させてもらうことになった。

友人も同居している彼女の妹もとても朝早く出勤するため、合鍵を預かり、最後に出る私が鍵をかけ、アパートのドアについている新聞受けから玄関の中へ鍵を滑らせて返却し出発、という段取りになり、その日は早めに就寝した。

翌朝、友人と妹を見送った私は余裕を持って支度をし、玄関で、念のためにもう一度申請に必要な書類を確かめるとリュックの中に大切にしまい、小さなショルダーバッグを肩からかけると、合鍵を手に玄関を出る。この鍵は、作り方が悪かったのか癖があるので、かけるのに少々手こずると聞かされていた。案の定、しばらくがちゃがちゃやって、やっとこさ閉まる。よし、とドアの新聞受けから鍵を流し込み、鍵がかちゃりと玄関の三和土に落ちた音を確認して、軽快に階段を降りる。と、違和感を感じた。これから、未知への冒険の第一歩を踏み出すのだから、足取りも軽いのはわかる。が、なんだか、軽すぎる。


背中に、しょっているはずのリュックがなかった。


私の背中にないということは、ひんやりした玄関にいまだ鎮座ましましておられるのに違いない。申請用書類の全てを人質にして。

一瞬のうちに、様々な可能性がかちゃかちゃと音を立てて頭の中で繰り広げられた。

友人に電話する→ 出勤したばかりの彼女を、こんなとほほな理由で引き返させるわけにはいかない。
妹に連絡する→ そもそも電話番号を知らない。こんなとほほな理由で呼び出したら、「姉の友人にしてはまあまあマトモ」という現在の私に対する評価は「さすが姉の友人だけある」まで暴落し、今後は軽蔑のまなざしを投げられ、口を利いてくれないに違いない。
今日は申請をあきらめる→今日は金曜日だから、この機会を逃したら来週の月曜日まで待たなければならない(治外法権ガッデム!)。帰りの新幹線は格安チケットで取ってあるし、月曜日には仕事に行かねばならない。

・・・なんとしても、自力で取り戻さねば。そうだ、サヴァイヴァルはここから始まるのだ!できる!わたしならできる!そうだ、引っ張れ、つり上げろ!Oh Hisse! Oh Hisse !

(綱引きの「オーエス」はフランス語から来ています。)

脳内麻薬で軽く盛り上がると、ドアのポストにへばりつくようにして中を覗き込み、鍵の位置を確認する。幸いなことに、ポストから見えるところに鍵を発見。しかも、鍵には色あせたリボンが輪になってついている。ナイスリボン。何か長い棒で引っ掛ければ取れるだろう。しかし、急がなければならない。11時までに大使館に滑り込まなければ、何もかもアウトだ。

きょろきょろと辺りを物色し、まず、玄関のドアの横に、無造作に立てかけてあったプラスチックの柄のほうきを見つけた。しかし、ほうきは思ったより短く、三和土まで届かない。私はほうきを潔く投げ捨て、ドアの横手、浴室の窓の柵に掛かっているビニール傘を手に取った(この時点で、他人のものという意識はゼロ)。傘の持ち手でリボンを引っ掛けようというこの上なく陳腐な策である。ポストは間口が狭く、傘は先だけしか入らない。しかし、傘の柄だけにしてしまえば入るに違いない。私は傘の骨と皮(ビニール部分)を残虐な手つきで分解しにかかった。しかし、アルミとはいえ、傘の骨はなかなか頑丈で、柄の部分を残して全てを外すのは至難の業だ(だいたいから、そんな姿の傘など見たことがない)。汗をかきながら、蝶番をぐにゃぐにゃしたりぐるぐるしたりしていた時、隣の部屋のドアががちゃがちゃと鳴る。

その時、私は人様の家のドアの前で、さんさんと朝日を浴びて、複雑骨折したタコのようなビニール傘と一心不乱に格闘していたのだから、端から見ればこの上なく怪しい不審者、通報されても文句が言えない。どうする、どうしよう。

隣の家のドアが開き、一目で寝起きとわかる若い女性が、鞄やらゴミ袋やらを抱えて出てきて、私に気づくと、ノーメイクの顔を背けるようにして小さく「オハヨウゴザイマス」と言い、小走りにアパートの階段を降りて行った。

ほっと胸を撫で下ろす。

危機管理がなっとらん。こんなに怪しいのに。

いや、怪しかったから、逃げるように出て行ったのかもしれない。急がないと、おまわりさんが来てしまう。あちこち折り曲げられたあげく閉じられなくなり、気がふれたクラゲのようになってしまったビニール傘を手に、我に返った私は、キクラゲ(キは気がふれたのキ)を放置し、階下にかけ降り、やけくそで別の獲物を探してうろついた。

そして、とうとう、他所様の家の物干し場に投げられていた1本の竿を発見した。なんと、ステンレスの棒の先に?型のフックが付いている。経年で少しフックがぐらぐらしているが、まさに、ドアポストから玄関に落ちている鍵を拾う専用としか思えない作りに、しばらく感動に包まれて眺めていた。

専用棒を手にドアに戻ると、おそるおそるポストに差し込む。入ります。

フックが取れてしまわないよう細心の注意を払いながら、角度を微妙に変えて鍵のリボンにひっかかるように、慎重に慎重に竿を動かす。

栄光の瞬間は、もう目の前に迫っていた。
私のフランスへの旅立ちは、こうして(粗忽丸出しで)始まったのだった。

にほんブログ村 フランス語外国語ブログ
2012年09月24日(月) 12:16 by まり [ Edit ]
食事当番だった(外での仕事がない曜日担当)昨日、夕飯の買い出しに行こうという頃、空が怪しくなってきた。その1時間前にもバラバラと大粒の雨が落ちてきて、ふい、と飽きたように止んでしまったばかりで、夫君の母が窓の外を見ながら、「なんだか怪しいよ」と言っていた。

「こういう時、必ず降られるんだよなぁ、わたし。」

いわゆる「雨女」というのとはちょっと違う。降るかもね、降るかもしれないね、と思いながら手ぶらで出て、かなりの確率でびしょぬれになるタイプなのです(危機管理能力がないだけか)。実家の母なんかは真逆で、ざんざか降っている日の雨の小休止の時にちょうど移動できてラッキー、ということが多い。

ここに越してきてまもなく、まだ道もよくわかっていなかった頃、そんな感じの空を見上げながら図書館に徒歩で出かけた。家からひとりで行くのは初めて。教えてもらった通りの道順といっても、この街は寺町で、橋やら一方通行やら細い路地がうねうねしているので、迷うことも考え、用心して雨具を持って出た。家から数十メートルすすんだところで、案の定ポツポツと振り出し、用意していた傘を開く。そのまま、大きな川を渡る橋まで、まっすぐ進めば良いはずだった。

土手まで出た所で、ポツポツは驟雨に変わった。目の前の川がよく見えないくらいの。右を見ると、大分先に橋がかかっている。左を見ると、まるで相似形のように同じ位の距離で橋がかかっていた。異界に迷い込んでしまったかと、一瞬息を飲む。とりあえず、雨宿りできそうな建物のある左に走り、煙っている目前の風景に、しばらくことばを吸い取られて立っていた。

少しずつ雨の粒が見え始めて、やがて夕日が戻ってきたところで、橋をわたったものの自分がどこにいるのかさっぱりわからない。やみくもに歩いていたら、携帯電話が鳴った。夫君の母だった。

「まりさん、どこにいるの?大丈夫だった?今、私図書館の前にいるんだけども、ここまで車で走って追い越さなかったから、ひょっとして迷ってるんじゃないかと思って。」

雨が降り出してから、おかあさんは慌てて車で私を回収しようと追いかけたらしい。どうやら、右の橋を渡らなければならなかったよう。傘があるものの、下半身ずぶぬれになりながら、よろよろと図書館にたどり着いた私を確認して、おかあさんは仕事の準備へと戻って行ったのだった。

そういうことがあったなぁと、買い物を終えて出入口まで来たら、あの時とほぼ同じような勢いで雨がどしゃどしゃ降っていた。ひょっとして、と、電話を見ると、おかあさんからの着信履歴があった。電話をかける。

「降ってるね。」出るなり、笑いをくつくつと堪えるように言った。
「降ってるね。」
「傘持って迎えにいこか?」
「うーん、様子見て、上がらないなら百均で買って帰るよ。」
「そーね、それがいいかもね。」

売り場に戻り、野菜のコーナーに行く。

レタスが安かったのだが、棚にもう数個しなびたのが残っているだけで、どうしようかな、と品定めしていたら、隣で同じように思案していたおばさんが、

「あんた、そっちよりこっちにしなせ。」

どん、と一玉差し出して来た。

「でもこれ、見かけ大きいけど中身はスカスカじゃない?」
「他のもみんなそうだから、これが一番マシ。」

おばさんは、野菜の神様のように断言する。と、青果の搬入口から店員の兄ちゃんがゴロゴロと野菜の箱を積んで出てきた。たぬきのような丸い体のおばさんはイタチのようにするり、と店員の前に立ちはだかり、

「あんた、これからまたレタス積むんでしょ。」

おばさんの迫力に、イエスと言わなければ身が危ないと感じた店員さんは

「あ、はい」

と、いそいそと返事をした。

「それじゃ、ひと周りしてまたあとで。」
と私に指令を出すと、おばさんは行ってしまった。

わたしは大人しく売り場をひと周りしてレタスを買い、百均で水玉模様の傘を買うと、じゃぶじゃぶ雨の中を帰った。
にほんブログ村 フランス語外国語ブログ
2012年09月04日(火) 10:08 by まり [ Edit ]
風邪をひいたようで、先週からなんとなく不調だったのだけれど、一昨日は咳がひどくなったので、一日中ごろごろして、生徒さんから借りた「杖と翼」(木原敏江 小学館文庫)を読んでいた。フランス革命後の恐怖政治時代を舞台にした漫画。マリー・アントワネットが「パンがなければお菓子(ブリオッシュ)を食べればいいのに」と言ったという間違ったエピソードが使われていたけれど、なかなか面白い。

(実際は、三流新聞(かわら版)によるマリー・アントワネットの「つるし上げ」の中で、あることないこと書かれまくった中のネタのひとつ。本当は王妃のとりまきの貴族のひとりが言ったらしい。)


前期の授業が山場を迎えていた頃、提出課題を添削していた時、2人の学生が偶然同じことを書いていたのを発見して、もやもやした。

「Je n'aime pas la lecture. (読書が嫌いです。)」

まあ、好みについて書くという課題だったから適当に書いたのかもしれないけれど、心にちらとでも思わないことを書けるはずはないので、そういう心持ちがあるのだろう。

これと同じことが、ナント大学にいた時にもあった。語学学校のカリキュラムを卒業して、学部の方に入ろうとしている人に、なんでその学部を選んだの?と聞いたら、上記の学生と同じ答えが返ってきた。本を読むのが嫌いだから、私のいる文学部なんかはちょっとね、と。

そのときのわたしは、現文学科300人のフランス人学生の中でたった一人の外国人学生として、ほとんどの科目で落ちこぼれていたため、余裕のよっちゃんというものがナッシングで、トゲトゲしていた(そうやって尖っていなければ、つぶれそうだった)から、「読書が嫌い」と当たり前のように言う友人に対して反発のような、軽蔑のような、やりきれない違和感を感じた、というのを思い出した。

その時も、今も、なんで読書が嫌いだという人に対して、こういうもやもやした気持ちになるのだろう。

例えば、彼らが「イグアナが嫌い」とか「コーヒーが嫌い」とか「あたりめが嫌い」とか言うのに、同じような感情は湧かない。単にごく個人的な好みを言っているだけだから、こちらは「あ、そうですか。」と挨拶して、その人に対しては、あたりめをかじりながらイグアナを連れて「コーヒーでもどう?」とかうっかり誘わないように気をつけるだけだ。

でも、それを言ったら「読書」だって「音楽」とか「スポーツ」とか「登山」などの個人的な趣味の問題なのだから、なにもわたしが感情を害する必要なんか全くないのに。

ところで、小学生の時からの習慣で、わたしは本を常に3〜4冊同時に読んでいる。右目で一冊、左目でもう一冊、額の目で三冊目、余裕があれば背中の目で四冊目。

・・・今、数えたら7冊だった。あと、どこの目を使おう(まだ言うか)。

(① 村上春樹のインタビュー集(今頃) ② 町田康「この世のメドレー」③ Tracy Chevalier 「La jeune fille à la perle」④ 「イメージの文学史」シリーズから「動物の謝肉祭(澁澤龍彦 監修)」⑤ 高田渡「バーボン・ストリート・ブルース」⑥ 那州雪絵「ここはグリーン・ウッド(白水社文庫版)」⑦ 「世界は分けてもわからない」福岡伸一 ・・・読書が好きというより単に欲張りな性格が露呈。)

外出する時に本を携帯するのを忘れたりしたら、心の支えを失って挙動不審になり、出先で一冊買ってしまう。上記の彼らからすれば、わたしなんかは理解不能というか、もう完全なるど変態だね。

そうか。自分の「好き」なものを否定されて、さびしいのかもしれない。わかってもらえなくて、かなしいという気持ちが、相容れないことを言うひとに対する一種の「攻撃」として、イライラしたり、軽蔑したりする形になって現れているのかもしれない。


それにしても、読書嫌いで学生をやるってのは、物凄く大変なのではなかろうか。どの学部でも教科書やら資料やらを読まされない日はないし、基本的に読むのが嫌いなのでは、勉強もはかどらないだろう。

いやいや、雑誌や漫画は読むし、ネットでニュースや友達や芸能人のブログを読んだりもするよ。と、言われるかもしれないが、その「読む」力と「読書」力とは、全然動かす「筋肉」が違うのだと思う。

ネットで読める日本語のニュースや、雑誌や、このブログのような一般的な「日記」ブログや、ハウツー本は、ほとんど頭を使わないで読める。高度なレトリックを使って書かれているわけではないし、事実を分かり易く書いている。1次元あるいは2次元的読解で済む。
ニュースになっている出来事には、テレビのコメンテーターやニュースにコメントする無数の匿名の人たちのそれらしい意見が溢れている。漫画には、頭を使わないと読めないような作品もあるけれど、美しい絵が補ってくれる分、こちらの想像力を使わなくていい。

ただ、口を開いて待っていると、よく噛み砕かれて流動食のようになった情報が勝手に流れ込んで行ってくれる。だから、噛んだりする必要なし。メディア・リテラシーってのがあるラシーけど、もうあごが退化しちゃったから、それ、噛めねーよ。ふがふが。


村上春樹がこんなことを言っている。

ただ若い人々には多くの場合、「チェッキング・システム」のようなものがまだ具わっていません。ある見解や行動が、客観的に見て正しいか正しくないかを査定するシステムが、彼らの中で定まっていないのです。そういう「査定基準」みたいなものを彼らに与えるのは、我々小説家のひとつの役目ではないかと僕は考えています。もしその物語が正しいものであれば、それは読者にものごとを判断するためのひとつのシステムを与えることが出来ると僕は考えます。何が間違っていて、何が間違っていないかを認識するシステム。僕は思うんだけど、物語を体験するというのは、他人の靴に足を入れることです。世界には無数の異なった形やサイズの靴があります。そしてその靴に足を入れることによって、あなたは別の誰かの目を通して世界を見ることになる。そのように良き物語を通して、真剣な物語を通して、あなたは世界の中にある何かを徐々に学んで行くことになります。
村上春樹 著「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2009」p.19-20 2010年 文芸春秋


これって、読書だけではなくって、自分にとって未知のあらゆる活動が「他人の靴に足を入れること」なんだろう。
語学は「育ってきたものとは違うシステム」で考え、理解し、表現する、それこそ「他人の靴」に足を突っ込むだけではなくて、それで歩いたり走ったり踊ったりしなくちゃならない。履き慣れないからよく転ぶし、余計な飾りがついていたりすると腹もたつ。けれど、それを履いている時にしか見えない風景があるから、我慢してならして、だんだん自分の足に馴染ませて行く。

読む力というのは鍛えれば鍛えるほど、次元が広がって行く。物語が、言葉が、3次元、4次元に広がって行く。その風景は、毎日地味に言葉を掘り起こして、「どういうことだろう?」「この意見はほんとうなんだろうか?」「自分はどう意見を述べればいいだろうか」と深く穴を掘って行く、ことばを何度も噛んで確かめることで、だんだん見えてくる。今まで地べたにいたから見えなかった地上絵のような文の骨組みも、ぐんと上空から眺めて、見抜くことが出来るようになる。

今、起こっていることに対して、様々な人が様々な意見を言っている。教育は盛んに「規格からはみ出してはいけません。でも個性的な意見が言えるようになりなさい」と矛盾したことを言って急き立てる。一見すると論理的なことを言っているような気にさせる話術が上手な人にばかり、スポットが当たっている。なんでこんなにうじゃうじゃと溢れているのかというと、人の意見を1次元的にしか理解できない人が増えているからだと思う。だから、3次元・4次元的広がりのある文脈でメッセージを放っている人の意見も、自分が見えている平面しか見えないから、「お前の言っていることは間違っている、頭おかしい」と噛み付く。見えないから、かなしくて、怖くて、噛み付く。だから、それよりちょい複雑な2次元的メッセージを大きい声で怒鳴っている人に「この人の言うことは、すごい。」と騙される。

今現在のわたしたちの世界に本当に必要なのは、「理解する力」「聞き取り、読み取る力」なのだと思う。力がある人は、薄っぺらい論理を見抜くことができるし、そもそもそういう詭弁を発信してもすぐ見破られるから、ミオップな(近視眼的な)意見を言ったりできなくなる。

読書好きという個人的な嗜好を押しつけるのではなく、「本を読むのが嫌い」という人が増えていることに、とても危機感を感じて書いてしまいました。語学の観点から、よく読んでいる人は綴りを間違えない、とか、語彙が豊富になる、とか、具体的な効能についての話しもありますが、それはまたいずれ。
にほんブログ村 フランス語外国語ブログ
2012年08月24日(金) 11:04 by まり [ Edit ]
大学の私のクラスでは1学期に2回テスト(小テスト・期末試験)をしている。その奮闘具合は大いに成績に反映されるので、当日は、みんなピリピリヒヤヒヤしながら教室にやって来る。

試験の日、20分以上の遅刻者は、正当な理由がない場合はお帰りいただく。気のゆるみにせよ(ここで気がゆるむことそれ自体がすでに問題だけれど)、精神的・身体的な問題があるにせよ、大事な日にきちんと間に合えないというのは、勉強云々以前の問題で、まずそこをなんとかしない限り、社会では信用してもらえない。

ある年の試験日、遅刻魔の彼は、20分過ぎに飛び込んで来た。

茶髪はボサボサ、猛烈に走って来たのか、ハァハァと肩が上下した状態で、私の前に立つ。

「20分過ぎてるよ。」
「ハイ。」
「寝坊した?」
「ハイ。」
「学生証。」
「あ・・・」

彼は非常に大柄で、座っている私の前に立つと、多分向こうからは完全に私が隠れてしまう。
その熊のような彼が身体を縮めてゴソゴソとリュックをかき回して学生証を探している間、ふと私が顔を上げると丁度彼の股間が私の目の前にあった。社会の窓がオッス!と全開になっている。この開け放した状態で、このでっかい身体が全力で走って来たのかと思ったら、笑いが温泉のようにこみ上げてくる。

「・・・時間一杯がんばりなさい。」
「ハイ。」

チャックあいてるよ、と言おうかと思ったのだけれど、試験前に変なダメージを与えてもなと、考え直し、気づかないふりをした。試験の後トイレに行けば嫌でも気づく。しょーがねーなーもう。

彼は集中力と「馬力」があり、やればぐいぐい進めるタイプなのだけれど、こういう落ち着きのなさから、その時の試験も問題の読み違いをして取れる問題を落としていた。答案を見ながら、ためいきが出た。

にほんブログ村 フランス語外国語ブログ
2012年05月30日(水) 14:16 by まり [ Edit ]
STUDIO 28パリで最古。


今回の旅は、「おのぼりさんポイント」を外から眺めることにしていたので、モンマルトルにも行くことに。
しかし、私は、あの辺は正直、苦手だ。

 サクレ・クールに初めて登ったのは9歳の時。当時(1980年代、と、ここで私の年齢を概算しないように。)、日本語が堪能な神父さんがいて、その頃日本人の小学生があの辺をぶらぶらしているのは結構珍しかったからか、熱烈歓迎を受け、一緒に写真を撮った気がする。もちろん今みたいなケーブルカーはなかったので、みんながあの急所をえっちらおっちら登った。今も昔も変わらず人がうじゃうじゃいる。

 大人になって、一人で初めて来た時に、まずピガールの駅でスリに合いそうになった。今は綺麗になったけれど、その時は改札が二つだけの小さな暗い駅で、私が改札に来た時に、後ろ手をしてメトロ・マップを眺めている少年がいた。私は普通に改札を通って通路を歩き、角を曲がった所で、向かいから来たおにいさんにいきなり

「Hé oh, t'as fais quoi, toi ! (おいこら、お前何した!)」

と、怒鳴られた。振り向くと、さっきの少年、と、思ったら極端に背の低いおっさんだった、が、私のリュックのかぶせ部分のベルトを外していた所だった。おにいさんは、小さなおっさんにつかみかかり、「取ったものをすぐに出せ」と迫ったのだけれど、リュックの中には朝ご飯に貰ったリンゴ1個とガイドブックが入っていただけだったし、スリに合う程うかつなガイジンではないんだとわかって貰いたくて、私は、「何にも入っていない、取られていない」と必死に説明し、ちっさん(小さいおっさんの略)も、自分は(まだ)何も取っていない、勘弁してくれと繰り返し、盗られ(かかっ)た人と盗ろうとした人が二人で「ないない」を連呼するというシュールな状態になった。このまぬけな二人組にあきれた感を漂わせつつ、正義感に溢れたおにいさんは、私とちっさんを放免(?)したのだが、この時「人は見かけによらぬもの」ということわざは、むしろ「人は『見かけ』によらないことはマジで少ない」とアップデートされたのだった。見かけ、というより、その人の纏っている、というか、魂が吐き出している、空気をよく感じないといけない。

・・・という思い出の他にも、行く度に(ガイドとして行かなくてはならないことが何度かあった)、しつこい絵描きを追い払ったり、しつこいミサンガ売りの黒人から逃げたりしなくてはならなくて、そういう困難を乗り越え、心臓破りの階段を登りきった上に見える白いドームも、人を掻き分け入ってみれば「撮影禁止」を知らずにカメラを出して怒られる旅行者達がぞろぞろいてちっとも落ち着かない。

今回も覚悟しつつ、立ち並ぶセックスショップ(この辺は本当に多い)を抜けて、サクレ・クールの登り口にたどり着いた。もちろん、ケーブルカー(有料)は乗らずに、細い階段を上る。

急な階段は、真ん中の手すりを挟んで両側に一人ずつが立てるほどの幅しかない。見上げると、途中の踊り場で中学生くらいの女の子達が5,6人、手にボードのようなものを持って立っている。

「まさか、もう似顔絵描きがいるの?」と夫君が尋ねる。まさか、まさか、と繰り返しながらも、彼女達が私の行く手にたむろしていたので、手すりをくぐって反対側に進路変更した。すると、彼女達は私の進路に再び集まる。イヤな予感。

彼女達まであと5段程になったところで、全員が一斉にわたしたちにロック・オンした。投げキッスをしたりお辞儀したりして何かをお願いしようとくねくねする。他の所でもいたのだけれど、どうやらヒスパニック系の女の子で、何かの署名を募っている。集団スリだ。ちくしょう。

わたしは「Non」を連呼して突破しようとしたのだけれど、彼女達は通せんぼし、一人がわたしの腕を押さえて進まないようにする。さすがにこれは本気を出さなくてはならなくなり、

「Hé, touche pas ! (触んなコラ!)」と叫んだ。

そのまま、肉弾戦になるかというにらみ合いがあり、私は、昔のフランス語の教科書にあるような、人差し指を相手の心臓に向けて指す、心持ち古くさい「けんかを売るポーズ」で牽制していた(すりこみって怖い)。

ちょろいと思っていたハポンのねえちゃんが意外におっかなかった、というショックに包囲網がゆるゆるとなったのを見計らって、スリ集団を通過する。
なめんじゃねえぞ(財布は落としたけれど)。

この間、夫君は何をしていたのかよくわからないが、彼もひょいひょいと抜けて来た。

後で、ああいう時こそ「Bas les pattes (触るな)」を使えば良かったなぁ、と反省した。なかなか使う機会のないフレーズ。惜しいことをした。

(※Bas les pattes は動物に対して「足を下げろ(おすわり)」と言う時に使うので、かなり侮蔑的。喧嘩をして勝てそうにない相手には使わないことです。この女の子達も、刃物を持っていないとは限らないので、言わない方がいい。)

こういう輩がいるから、みんなお金を出してケーブルカーに乗るのだと、やっとわかった。穏便に済ませたかったらお金で解決なんて、ヤな感じ。

帰りはサクレ・クールの脇の階段から降りて行ったら、静かで良かった。途中、小学生が5人位わーと登って来て、最後に太った小学生の男の子がひいはあ言いながら、「し、しぬ・・・」と立ち止まり、すれ違いに降りていた女性に、「ほんとね」とくすくす笑われたので、少し赤くなり、「ねぇ、休憩しようよー!」とよろよろ通り過ぎて行った。


 さて、モンマルトルにはパリで一番古い「STUDIO 28」という小さな映画館がある。内装のデザインをジャン・コクトーが手がけたので、シックで個性的。

STUDIO 28中


Jean Cocteauコクトーの絵。


ちょうど、「アーティスト」をやっていたので、観て行くことにした。

まあまあ面白かったのだけれど、アカデミー賞か、と言われると、よくわからない(犬は表彰ものだった)。
モノクロで無声なので自然と身体の動きに目が行くため、女性がガッツポーズをしたりするのが、どうも中途半端に現代っぽくなって、冷めてしまった。


 こうして振り返ってみると、ちょっと寒々しい「ふれあい」が多かった気がするのだけれど、エッフェル塔を眺めに行った時、撮影ポイントを通ったら、やはりヒスパニック系の、髪のふさふさしたおとうさんが、iPhoneを持て余した様子で、

「ちょっとごめんなさい、これ、カメラってどうやんのかわかる?いやもう、娘のだから、おじさん全然どうしていいかわかんなくって」

と、尋ねて来た。使い方を教えると、

「やー、たすかったー、ありがとね!もうなんだかよくわからない画面が出て来て、どうしようかと思っちゃった」と、ニコニコ嬉しそうに写真を撮っていた。私達もなんだかニコニコとそれを見ていた。こういうお父さんの娘さんは、きっといい娘に違いない。

 芝、お休み中 あっちもこっちもオフシーズンで工事中、閉鎖中の3月。芝生まで「しば、おやすみちゅう」と看板を掲げていた。


にほんブログ村 フランス語外国語ブログ
2012年04月09日(月) 21:29 by まり [ Edit ]

TOP
上エ