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2016年12月27日(火)  by スポンサードリンク [ Edit ]
土曜日:「ベンダ・ビリリ!」を見に行く。

去年9月にピーター・バラカン氏の出前DJを見に行く道中、Kさんがナビ君に「最近なんか注目しているのとか、あるの?」と聞いた。

「うーん、『スタッフ・ベンダ・ビリリ』ってコンゴのグループ、やっと名前を覚えられたんだけど、コンサート行きたいんだよなぁ。松本かいわきか、と思ってんだけど、車で行くのはやっぱきついかな」

ベンダ・ビリリという妙ちくりんな響きをこの時初めて聞いたのだけれど、その数時間後にバラカン氏の口から同じ名が出たのにちょっと驚いた。その時映画の一部を見せて貰ったので、新潟での上映を楽しみにしていたのだ。

映画はとても良かった。特に、監督のルノー・バレとフロラン・ド・ラ・テュライの視点がコンゴに対する既存のイメージに凝り固まったものでなく、くそまじめなドキュメンタリー調でも悲劇調(予期せぬドラマは色々とあったにしろ)でもなかったのがいい。実際、彼らのインタビューの中でもその辺りを意識していたみたい (⇒Next.libération フランス語) あくまで淡々と、アーティストたち、路上暮らしの人々、「障害者施設」での暮らしを見つめる。確かに、彼らは「屈強の(コンゴ)魂」を持っている。

今回も整理券が出ていたみたいで、私たちの隣に座った女の子だけが持っていた(整理番号1番)。映画が始まる前も、終わった後も、興奮したような喜びではちきれそうな感じでCDやパンフレットを買っていた。ナビ君はしみじみ

「気合、入れて来たんだよ。俺もすごい気合入れて来たもん、今日。」

と言う。


(仏語日記部は「続きを読む」からどうぞ。眠いからミス一杯ありそうだ。)


*フランス語的に見る「ベンダ・ビリリ!」

パパ・リッキーのみ(仏語ナレーションを抜かして)理解可能な仏語をしゃべっていて、後の人々の言葉や歌詞は単語単位で時々フランス語が聞こえるけれど、ほとんどわかりません。パパ・リッキーは割とゆっくり話すし、アフリカン・フランス語特有のなまりがそれ程きつくないのでディクテには丁度いいかもしれません。

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2011年01月12日(水) 01:48 by まり [ Edit ]
朝、読売新聞の書評を開いたら、Hさんこと橋本一径さんの「指紋論」が載っている。元ナント番長の著作とあらばぜひ読まねばと、図書館に本のリクエストをした。できれば買ってください・・・とつっこまれそうです。


ドアーズ まぼろしの世界 When You're Strange」を観に行く。

前回のストーンズのような1日限定ではないのに整理券が出ていた。今回は当日券で上演直前に滑り込む。客席はレイ・マンザレクのもみあげのようにもっさりとしていた。一見すると、ジム・モリスンよりもヤバそうな瞳のレイは「天空の城ラピュタ」のムスカ大佐のようだった。

メンバーは「天国と地獄の狭間にいる」ジム・モリスンの作り出すカオスに巻き込まれていたようでいて、その実彼を操る術を知っていた。ジムがドラッグや酒から抜けられなかったのはコントロールしようとする人々から逃れたかったからなのか。ジョニー・デップのナレーションは悪くない。


図書館に「ジム・モリスン詩集『神』『新しい創造物』」もリクエスト。同日に指紋についての本とLSDアルコールでキメキメだった人の詩集を頼んだので、ちょっぴり「ファンシーな」人だと思われているかもしれない。しかも丁度アンリ・ミショーを借りて返しそびれていたのだった。わたしがやったことあるのは、新大久保で求めた「合法」と注意書きのあるものだけです。
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2010年11月29日(月) 01:41 by まり [ Edit ]
coeur sur la main Avoir le coeur sur la main. (寛大だ)


バレンタインらしい絵だったのですが、この言い回し、実はかなりホラー。直訳すると

「心臓を手の上に持っている」

ですから。ギャー。



にいがた国際映画祭開幕日に「ネオ・ファンタジア」を見に行こうと楽しみにしていたのですが・・・

色々あって結局「Dr.パルナソスの鏡」を見ることに。

評判を見ると賛否両論みたいでしたが、私は好きです。
上映時間が長かったけれど、全然退屈しなかった。

ヒース・レジャーが亡くなってしまって残念です。

彼の役「トニー」を完成させるためにジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが出てきて、改めて見るとやっぱりヒース・レジャーがいいな・・・と思ってしまう。騙されてるかもしれないけど、騙されたままでもいいや、と思わせる魅力がありました。

トム・ウェイツも憎めない感じがすてき。今日は仕事中にCDを聴いていました。


最近シネコンで映画を見ることが続いているのですが、どーうしても苦手なのが、あの本編が始まる直前に流れる「映画の撮影は法律で禁止されています」というやつ。顔がカメラの不気味な人間がぐにゃぐにゃ踊る、あれです。

今書いているだけでも鳥肌が立つ位、苦手です。こわいよぅ。

「カールじいさん」の時に初めてまともに見てしまって、半泣き。

今ではあれが流れると思うと映画が始まる前は緊張して手汗をかく位で、始まったら隣の人にしがみついて絶対に見ないようにして、終わるまでただ耐える。

恐怖心を抱かせることができるってことは効果がそれなりにあるものなんでしょうが、私は撮影をしたりしようと思っていないのでもう勘弁してください(涙)。

前に映画は一人で行くの楽しいって書いたけれど、シネコンは一人では行けないな・・・


ここ数日にものすごい勢いで仕事が増えてしまって、もうパーになりかけていました。

しかし、こうやって映画に行ったりしているってことはまだキャパがあるってことなんだと気づく。

いやいや、だからもっと何かできる、とか考えると方々から「もういい加減にしなさーい!」とお叱りが来そうなのでやめますが、大切なのは


「忙しくて仕事以外にやりたいことができない」わけではなく、ちゃんとやりたいこともやっている自分に気づくことなんです。


それにしても、今日もどくだみ先生に「過労」と言われました。私、先生より全然働いていないと思われますが、やっぱり過労なんでしょうかね・・・

「一休み一休み」

ハイ・・・一休さん。
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2010年02月16日(火) 00:30 by まり [ Edit ]
arcenciel Une gentille intuition.


ザ・初体験。

昨日「夏時間の庭(L'heure d'été)」を見てきたのですが・・・

「わあ、誰もまだいないねぇ」「あんまり前じゃない方がいいか」などと言っていたら入り口のカーテンがシャーっと閉まって「まもなく開演です」

・・・というわけで、貸切でした。びっくり


映画自体は、まあ、オリヴィエ・アサイヤスなので美しくまとめられていて見やすかったのですが、ストーリーがそれほどぐっと来るものでもなく・・・ただ、フランスのいわゆる資産家ファミリーのホームパーティーの様子や、日常生活の断片が「あ〜こんな感じ」と言いたくなるリアルさでよく描かれていて、ちょっとドキュメンタリー調のカメラワークが効いていました。文化学習的にはとても参考になります。骨董品、庭などが品良く美しい。ミュージックもなかなか良かったです。字幕も上手かった。

シャルル・ベルランといえばルコントの「Ridicule(リディキュール)」でジュディス・ゴドレッシュの太ももをなでなでしていた記憶しかないのですが・・・いい(子供からしてみれば仕事バカのダメ)親父っぷりで好感が持てました。


それにしても、連れも私もシネウインド常連者なのですが貸切状態はさすがに初めてで、終わった後に「だらけた姿勢でも誰にも文句言われなかったのに、なんか大人しくいい姿勢で最後まで見ちゃったよ」という彼の言葉を聞いて初めて「あ、そっか、後ろに、人いなかったんだっけ・・・」と思い出し、なんだかよくわからないけど、なんとなく損した気分で映画館を後にしました。あれこそ「腑に落ちシート」です(笑)。

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ブルターニュは空が低く感じられることが多く、フランスは電線がうじゃうじゃと絡まっているわけではないので、よく空を眺める癖がありました。

日本に戻ってきて、今のメインの仕事場は窓を背にしているので、空を眺めてぼ〜っとするの、しばらく忘れていたなぁと気づきました。それ位、昨日は空を眺めた。お天気もじゃんじゃん変わっていたし。

真っ暗で海か空か風か自分か、全部一緒くたになるような息苦しさも感じたし、きらきらのオリオン座眺めたし、中世ヨーロッパ建築の天井画のような色合いの雲も見かけた。

なんというか空でおなか一杯です。むふぅー。


雨と晴れが追いかけっこをするような天気の日は「アンナ」を思い出します。アンナ・カリーナが浜辺で歌う「Sous le soleil exactement」を口ずさんじゃう。



「ANNA」、DVD持っていたような気がしたんだけど、どこいっちゃったっけなぁ・・・
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2009年10月11日(日) 18:27 by まり [ Edit ]
Langeais Je t'aime
 moi, non plus...


夏目漱石の小説「彼岸過迄」を思い出した。

市蔵は常に己の思考を追いかけているタイプで積極的な行動派ではない。一方、従兄妹の千代子は明るく活発な女性。彼女の無邪気さに脅かされながらも惹かれる市蔵だが、彼の出生、母の存在を含めた自我が彼女への「愛」を許さない。許すことが出来ないのだけれど、惹かれてしまう。嫉妬をする。千代子はそれを感じ取る才能に長けており、市蔵の頑なさに半ばあきらめて遠くなったりするかと思えば、すっと彼の心の傍まで来る。しかし、それが却ってお互いを苦しめることになって・・・


ところが不幸にも二人はある意味で密接に引きつけられている。しかもその引きつけられ方がまた傍(はた)のものにどうする権威もない宿命の力で支配されているんだから恐ろしい。取り澄ました警句を用いると、彼らは離れるために合い、合うために離れると云った風の気の毒な一対(いっつい)を形づくっている。こう云って君に解るかどうか知らないが、彼らが夫婦になると、不幸を醸(かも)す目的で夫婦になったと同様の結果に陥いるし、また夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのと択(えら)ぶところのない不満足を感ずるのである。

                               夏目漱石「彼岸過迄」より抜粋


「ランジェ公爵夫人(原題 La duchesse de Langeais)」はオノレ・ド・バルザックの小説。実はバルザック自身が作中のモンリヴォーと同じような目にあった、その実話を元に怨念を込めて作ったものらしい。バルザックの世界だけに留まらず、その文章をいかにそのまま映画に起こすことができるか?が監督ジャック・リヴェットの命題だったそうで、これはかなり成功だったんじゃないかと思います。バルザックの「人間劇場」を意識して、キャプションでト書きを出したり、4幕ものになっているところも上手い。

ただ、バルザックという作家がどういう手法を使うのか、そして現代の一般的日本人にとっては「特殊」と思える関係を理解できないと、いたずらに長いだけの精神的SM映画で終わってしまいそうなところが残念。


学生時代の記事(アーカイヴ2005~7)で何度か書いたけれど、中世の騎士に必要不可欠な要素に「マドンナ」がある。これだと決めた人へ身も心も捧げること、しかもその相手は自分より身分が上で既婚者でなければならない、というどう考えてもマゾヒストな掟。それで、アーサー王は王妃をランスロットに寝取られるのだけれど・・・

王政復古の時代、上流階級の間でもこのしきたりは風化していなかったらしく、既婚の奥さんのところに通う伊達男がごろごろ。しかし、暗黙のルールという新しいものができる。それが「本気にならないこと」だった。もし本気で駆け落ちしたりすれば、それこそ周囲の笑いものとなり、家の名を汚す。アントワネット・ランジェ夫人も最初はそのつもりだった。ところが、相手のモンリヴォー将軍はその「暗黙」を踏みにじり、「ルール」を無視し、迫ってくる。それを「無粋」という言葉で片付けられないものが、男にはあった。

女はあらゆる策で翻弄し、常に優位であろうとする。けれど、男が「ルール」を破ったところから形勢が逆転する、ように見える。
男はぱったりと来なくなる。女は狂おしげに何十通も手紙を送り続けるが、一方で空の馬車を彼の家の前に止めさせ、あたかも彼女が「墜ちた」かのように世間にデモンストレーションをしかける。自我という鎧は彼女の肉に食い込み、骨にまで絡み付いている。その全てをかなぐり捨てようとした時、もはや無傷では済まされない。

そこまで追い詰められた女の「命がかかった手紙」を読んだ男は気が気でなくなる。タイムリミットは夜8時。友人がおしかけ、酒とタバコと政治とくだらない言葉遊びがだらだらと続く中、何度も時計を確認する。しかし、その時計の針が7時40分で時を止めたままだということに気づいた時、彼の負けは決まってしまう。5年後、断崖絶壁の上に立つ修道院にいる「テレーズ修道女」となった女は、とうとう彼女を探し当てた男の前で神への誓いを破り、彼への隠された愛をついに言葉にする。しかし、その女を連れ出そうと男が修道院破りをした時、彼女はすでに神の元へ旅立っていた。

「忘れろ」仲間はそう肩を叩く。「あれは夢だったと思うようにするんだ」
男はうなずく。「Ou un poème...(あるいは、一遍の詩だったと・・・)」



こういう「恋愛」はヨーロッパ独特だと思っていたのだけれど、考えてみれば冒頭の漱石の小説のようにわりとありふれた関係なのかもしれない。

好きなのに好きと言えないで悶々とする、「好き避け」というのは比較的幼い時に現れる、と聞いたことがある。大人になると、片思い期間が短く適当なところでさっさと誘って、上手くいかなければ「残念」となる。らしい。一般的に。
それが、大人になっても出来ないというのは、いわゆる「成長できていない」人に多いそうだ。
自我が強すぎるため、自分が人にどう見られているかが不安を引き起こしたり、恥ずかしさがわいてしまったりする。
うーん(笑)。自分が相手に影響を及ぼしている、振り回しているということで愛情を図りたくなる気持ちはよくわかってしまいます・・・。


キーパーソンとなるミシェル・ピコリ、この人は何をやらせても本当に上手い。和むなぁ。
そして、「éblouissant (エブルゥイッサン、まばゆく美しい)」という言葉一つだけで引っ張る酔っ払いレ・トレーズの二人はなかなか笑えました。ホント、いいシーンだった。

主役の一人ギョーム・ドパルデューは残念ながら先月、若い命を落とした。
その気かん坊で荒々しく、けれど傷つきやすいロマンティックな横顔がモンリヴォーの役柄に本当に良く似合っていたのに。


映画の原題は「Ne touchez pas la hache (ヌ・トウシェ・パ・ラ・アッシュ)」

「斧に触るな」という意味で、モンリヴォーがランジェ夫人に語るエピソードから来ています。チャールズI世の首をはねた刃を触ろうとしたウエストミンスター見学者に対してガードマンが叫んだというもの。モンリヴォーが目には目を「刃には刃を」という決死の覚悟をランジェ夫人に伝えるための言葉でした。

ちなみに、ecorでちょうど身体の部位をテーマにしていたせいで、この原題を見た時から映画館に行くまで

Ne touchez pas la hanche (に触るな)

だと思っていたのは何を隠そう講師の私です・・・いやーん
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2008年11月16日(日) 00:07 by まり [ Edit ]
明後日に迫ってきた中地区公民館フランスセミナー番外編。
色々迷ったのですが、「シネマで楽しむひとことフランス語」というタイトルにしました。

しかし、今回単発の授業(90分)なので長編をお見せすることができず、残念!
抜粋を見てもらっても、その面白さはなかなか伝えきれないし・・・むむむ、どうするよ・・・
と、自分から「映画とフランス語会話学習くっつけたらどうですか?」などと提案しておいて、いきなり躓いていました。

結局、長編はあきらめてle court métrage(ショート・フィルム)を何本かお見せすることにしました。

フランスのショート・フィルムはなかなか質が高いものが多くて、その持ち味の皮肉な視点が生きているものが多いです。時間が限られているが上にお国柄というのが色濃く出てくるので、「癖が強い」印象となって、その「視点」や隠れたメッセージが日本人にとってなかなかわかりにくかったりするのですが、きちんとした解説があれば、とても面白く見られるものじゃないかなと思います。

今のところセミナーや授業では取り上げられないのですが、個人的には馬鹿馬鹿しいものも好きなのでフランス作品はうってつけ。なにしろ、ロシア人のお墨付きをもらってますし。

いつか「映画を見る会(仮)」を作って、くだらない物もだらだら上映したいな〜。

会話マナーや挨拶練習には大体「海辺のポーリーヌ」を使っているのですが、今回はクロード・シャブロルの「La Fleur du Mal(悪の華)」の抜粋を使おうと思っています。この映画って日本では一般公開されていないのでしょうか?面白いのにな。

作品を色々選んでいて、ついでに整理をしてみたら、フランス映画だけでDVDが58本ありました。
100本になったら記念になにかやろうかな。
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2008年10月14日(火) 08:54 by まり [ Edit ]
Mercredi folle journee
字幕製作まもなく取り掛かります・・・。


やっと届いたPascal THOMAS監督の Mercredi, folle journée...
ナントが舞台になっている映画です。

面白いと聞いていたのだけれど、ついぞ見ることなく。
しかもあまり有名ではないので在庫が薄く、Amazonでは中古しか見つからず・・・。
海を越えるとなると、マーケットプレイスでの購入はリスクが高い気がして今回は久々にFnacで注文しました。

字幕翻訳ができたら授業の「ナント・ブルターニュ案内」の一環として使う予定です。
お楽しみに。

「寝てまえ暗記」実験報告。

ラテン語学習者が最初に覚える、名詞の第1語尾活用(デクリネゾン)rosa,rosae(バラ)。暗誦してから寝てみたら、覚えていました。

まあ、これがあいまいになっている時点で、私のラテン語力の危うさがわかるようなものですが・・・。この調子で毎晩何かを覚えつつ寝たら、一年で少なくとも365個の内容をそれほど苦労なくインプット出来るかも、とちょっとわくわく。

それにしても、朝「ちりとてちん」で聴いているだけなのに、五木ひろしの「故郷」はすっかり歌えてしまうという、この記憶力はどうなっているのやら。
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2008年01月25日(金) 01:22 by まり [ Edit ]
brialy

エリック・ロメールといえば、
愛とモラルに関する薀蓄を語るモラルゼロのヒーローと、彼を取り巻く女たちの矛盾した言動を、赤と白と青で彩る映像。

素人っぽさを徹底的に好むシネアストだから、主人公もなんだかふわふわひょろりとした人が多くてあんまり私は彼の映画のヒーローたちって好きではないのだけれど、さすがはジャン=クロード・ブリアリ、こんなにどっしりリアリスティックにふわふわスケベオヤジを演じられる人は少ない。

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2007年06月08日(金) 06:10 by まり [ Edit ]
何を今更・・・と言われそうな「Le fabuleux destin d'Amélie Poulain」。
たまたま昨日France 3でやっていて、6年ぶり?に見ました。

改めてわかったのは、当時(今も?)流行った「アメリでフランス語を勉強しよう!」

いやー、それは難しいよ!!!

「アメリ」中のフランス語というのは、聞き取るのが比較的難しいです。
みんなしゃべるの早いし、アメリはぼそぼそしゃべるし・・・
みんな画家のじいちゃん(L'homme de verre)ぐらいでしゃべってくれたらいいんだけどね・・・映画が終わるまで4,5時間かかりそうだけど。

私は日本語で見たことが一度もないので、今回見ても八百屋のおっさんが何をいってんのかたまに????・・・今度フラ語字幕付のDVD買おう・・・

けれど、人物紹介なんかはレッスンに使えそうです。
自信がある方は、こちらでアメリ理解度テストをやってみてはどうでしょうか?(フラ語サイト)

私は途中までやったんだけど、思い出せないことしばし。
お父さんが誰かの隣でpisser(失礼)するのが嫌いとかは覚えてたんだけどね・・・。

フランスに留学する前、「アメリ」の音声をMDに落として通勤途中に聴いていたことがありましたっけね。ほとんどわからなかったけれど、アメリがお父さんに「Je vais faire du thé. T'en veux ?」というのは覚えてました。「en」ってこんな使い方するのねーと思った記憶があります。

しかし、前も思ったけど「アメリ」って変人しか出てこない映画・・・。
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2007年04月05日(木) 03:49 by まり [ Edit ]
the final cut

いつか見ようと思いながらなかなか見る機会がなかったAltmanが亡くなってしまった。
CarverのShort Cutsを映画化した監督。

大学に入ってからというものそれどころじゃなくて、全く映画に行く余裕がなくなってしまった。それまで月に4〜5本は見ていた(つまり週約一本のペース)のだけれど。

映画がle 7ème art(第7番目のアート)と呼ばれる国だから、ナントみたいな小さな町でも3歩あるけば映画館にぶつかる。昔の映画やら掘り出し物やらをこだわって見せてくれるし、値段も安い。

ナントでは毎年11月に3大陸映画祭というフェスティバルが開かれて、なかなか普段では見られない国の映画を見ることができる。

しかし、なんでこの、みんなが「travailler comme un fou(気が狂いそうなほど忙しい)」時期にやるかなーといつも思う。

ここのところわたしの中で「王様」の映画は、2002年の映画祭で審査員特別賞を取ったカルロス・ソリン監督の Historias minimas

historias minimas

「そこそこいい、どこにでもいる人」しか出てこない、時間が静かに進むロード・ムービーで、主役はおじいちゃん。

アップのカットがものすごく多いのだけれど、ほんのちょっと出てくる人も、主な登場人物もみんなそれぞれものすごい味がある。
そして、みんなに共通して言えること、それは
「笑顔がものすごくきれい。」

パタゴニアのなーんにもない砂漠の中をうねうねと道路が走り、限りなく透明で、時間が止まったような深い青空、凍るような空気、駆け抜ける風。
その青さのような笑顔をみんなが持っている。

物悲しくノスタルジックなギターやアコーディオンの音楽も、
がらんとした家も、
さびしく眩しいカフェ「カリフォルニア」も、
賢いワンコも、
皮肉が少し効いた笑いも、
おいしそうなローストや、パイや、まずそうなケーキ・・・
なんだかすべてに癒される。

考えてみると、カミュやレイモンド・カーヴァーにも共通する「minimas」な雰囲気や、何気なさというのが、わたしは好きなのかもしれない
(インタビューなんかを読むとカーヴァーは自身が「ミニマリスト」と呼ばれるのはあまりうれしくなかったみたいだ。作品を作るときはすごく早いらしいが、同じ詩人でもTed Hughesみたいなタイプとちょっと違って、カーヴァーは結構推敲をしていたらしい)。
温度を感じさせない、無機質な程透明な流れに、よく顔を近づけてみるとちかっ、ちかっと星が瞬いているのが映る、そんな感触。

カーヴァーはもっと乾いたアーバンな感じだけれど、このソリンの映画は凍るほど寒くまぶしく、やっぱり乾いた大地なのに、もっと温かく、やるせなく、ヒューマンな感じ。アルゼンチンならでは、な感じ。

登場人物一人一人が、なかなかいいやつじゃん、という部分と、ちょっとねぇ・・・という部分を合わせ持って出てくるからリアルだし、プロの役者がほとんど出ていない(パン屋役のマッチョなおじさんの本業はケーキ屋さんだったりするらしい)ところに味があるのかも。

タイトル「ヒストリアス ミニマス」はカメラの品名らしいです。ロードムービーを取るのに適したもので、この映画を撮るときに丁度監督の手に入ったらしい。

日本で上映されてないのかもしれませんが、こういう映画って、どこかでやっててくれるとほっとできていいのになぁ。
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2006年11月23日(木) 07:28 by まり [ Edit ]

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