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2016年12月27日(火)  by スポンサードリンク [ Edit ]
BONNE ANNEE みなさまのご健康と幸福を願って。


あけましておめでとうございます。

このブログ、年末年始には滅法弱く、昨年もぬるぬると終わり、新年の挨拶よりも新成人の「あざ〜す」のほうが交わされる日に、こっそり更新(すみません...)。

しかし2013年はこれまで通りだと思うなよ!

と、負け犬の遠吠え的にいきっているのはなぜかと言えば、土曜日のアトリエで現在形と単純未来形のニュアンスの違いをやっている時に、今年実現したいことの例として、

「今年はブログを2日に1回更新する」

という例文をうっかり作ってしまったからだった。うっかりにしては、「毎日」としない所が、すでに心の弱さが浮き彫りになっているような気もするけれど、リアリストなんじゃいとねじ伏せる。あと、兼業主婦なんじゃい。

もう半ばやけくそ気味にこの例文を使って、現在形と単純未来形のニュアンスの違いを説明すると、

現在形
Cette année, je rédige mon blog tous les deux jours.
(今年、自分のブログを2日毎に執筆します。)

未来形
Cette année, je rédigerai mon blog tous les deux jours.
(今年、自分のブログを2日毎に執筆するかもしれないな〜。)

語法によって、これくらい実現に向けた気合いの差があります。
なので、目標とか、叶えたいことは、なるべく現在形で表明するがよろしい。カミュもこう言っている:

Supprimer l'espérance, c'est ramener la pensée au corps.
( 希望を消去すること、つまり思考を身体に落とすことだ。)


この殺伐とした世の中に希望を持つな、ということではない。

「現実」は、すべて己が作り出している、とあちこちで読んだ。
昔、大失恋した時に、自分が望まない現実と自分の中の望みの折り合いがつかず、どうしていいか途方に暮れたことがあった。こんな現実、わたしは作ってない!と暴れた。

それから何年かかけて冷静になってみてひとつ気づいた。希望が叶わない時というのは、大体望み方が間違っている。

つまり、「Aでありますように」「Aになりたいです」というのは、自分がAではない と宣言しているようなものなのだ。だから、その方法で熱烈に望めば望むほど、「Aであるよう望んでいる自分」しか現実に現れてこない。

カミュが言うように、希望を持っているうちはそれは実現できない。希望として自分の頭の上あたりにフワフワと「〜ならいいのにな〜」と漠然と漂わせているうちは、本気でそれを実現しようとは思っていない。ほんっとーうに実現する必要があれば、そのたゆとうておるものを自分の身体の中に引きずり込み、あれやこれやと動き出すのだ。

それでも、まだ実現していないことを、実現したこととして思考を処理するのはなかなか難しい。
いくら「Aになれます(もっと言えば、「わたしはAです」)」と自分に言い聞かせようとしても、長年の思考の癖で「いや、まだなってないじゃん」
と、つっこみを入れる自分がいるわけです。そこをどうだます(?)か。

この世ではあらゆる人があらゆる思考を放っているわけで、その思考のマトリックスの様相で、自分の「現実」もどんどん動いていく。だから「ドラマチックな展開」なんかもあったりする。「Bさんと付き合いたい」なんぞのお願いは、自分の想いのみで実現するわけではないので (Bさんにも選ぶ権利がある)、実現プロセスはややこしくなるのだろう。けれど、自分ひとりの思考をコントロールすることである程度実現可能なものに関してはもう、現在形、というか過去形で表明していく。

納得しない思考の「つっこみ停止」をさせるには動くのが一番、てなわけで、こうして新年にフランス語についてなんだかなんなんだかよくわからないブログを書いている。おお、期せずして入れ子式展開になった。

長年、積み重ねの力というものを実感してみたいなぁと思いながら、だいたい途中で放棄というか放念していたので、今年はなんとなく粘り強くやってみようかという気にもなっています。古い諺も言っているので:
思想の種を撒きなさい、行動という実を収穫できるから。
行動の種を撒きなさい、習慣という実を収穫できるから。
習慣の種を撒きなさい、人格という実を収穫できるから。
人格の種を撒きなさい、運命という実を収穫できるから。*

*ちなみに、「行動の種を〜」以下はダライ・ラマの名言とされているらしい。また、これの変形バージョンが、日本では大変有名な「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから・・・」で、なぜか日本ではマザー・テレサの言葉になっている(本当のところ、誰の言葉かは不明)。


フラ語部復活↓(フラ語部とはなんぞやという方はこちら

La fin d'année 2012 comme d'hab : pas de bonjour ni de merci pour les lecteurs, et me voici au premier article de la nouvelle année, deux semaines après du premier jour de l'an...malgré moi.

Toutefois, Mari de 2013 n'est plus comme celle des années passées, na !

Au premier cours de l'atelier Samedi (la semaine dernière), on a parlé de la différence d'expression au présent et au futur simple. Et j'ai donné un exemple qui déterminait mon destin :

(Présent) Cette année, je rédige mon blog tous les deux jours.
(Futur) Cette année, je rédigerai mon blog tous les deux jours.

La nuance des deux phrases est claire. Au futur, on ne sait pas si je rédige vraiment mon blog, alors qu'au présent, il y aurait déjà une légère nuance d'accomplissement. Et c'est là, la clé de réalisation d'un voeu ;

En général, quand on parle d'un voeu, on n'utilise pas directement un verbe au présent indicatif, mais on met plutôt le verbe « vouloir » (et souvent au conditionnel).

Or, j'ai souvent rencontré la phrase : notre vie réelle consiste en tous nos pensées. Cette idée m'avait beaucoup attirée jusqu'à ce que j'aie eu une grande déception amoureuse... Alors, je me suis perdue entre mon espérance et la réalité qui ne reflétait pas mes pensées. J'ai dit : « Ma vie réelle a trahi mes pensées ! »

Je comprends maintenant mieux : n'empêche, notre vie consiste en tous nos pensées (ou en partie). Mais quand on n'arrive pas à réaliser ce qu'on pense, c'est que, l'on le déclare pas de bonne façon.

Albert Camus dit :
Supprimer l'espérance, c'est ramener la pensée au corps.

C'est-à-dire, on ne peut pas réaliser ce qu'on pense tant qu'on le « souhaite". Quand on souhaite une chose, la vie continue à réaliser sincèrement ce qu'on souhaite. Le résultat : on continue à souhaiter (puisque notre vie reflète nos pensées !)... Quel horreur !!

Il faudrait donc parler au présent indicatif quand vous parlez de ce que vous voulez réaliser. Comme ça, vous pouvez peut-être tromper vos pensées très « réalistes » qui ne vous croient pas facilement en grognant : " Mais non, ce n'est pas encore réalisé, pourquoi tu parles comme si tu avais déjà accompli ?"

Enfin, comme j'ai déclaré, j'écris ici pour réaliser ce que j'ai dit : rédaction de mon blog tous les deux jours. Continuer quelque chose pendant certaine période, cela donnera quand même quelque résultat comme dit un vieux proverbe :
Sème un acte, tu récolteras une habitude ; sème une habitude, tu récolteras un caractère ; sème un caractère, tu récolteras une destinée.

Alors, on verra.

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2013年01月14日(月) 13:36 by まり [ Edit ]
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2016年12月27日(火) 13:36 by スポンサードリンク [ Edit ]

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